この記事では、「無常感」と「無常観」の違いを分かりやすく説明していきます。
「無常感」とは?
無常感とは、むじょうかんという読み方をする言葉です。
文字で記されたこの言葉を目にすれば一目瞭然な事でしょうが、人生が儚い事やその様子といった意味の無常の文字に、その物事の様子や深く心が動くといった意味がある感の文字を加える事で完成した言葉となっています。
以上の事から無常感は、物事は移ろい易いが故に儚い、という意味を表すのです。
「無常感」の使い方
無常感は、物事は儚いものである、といった感覚を表す言葉として使われています。
物事は全て変化してしまい不変のものはないが故に、儚さや虚しさを覚えてしまうといった心情を表すのです。
なので基本的に、命が失われるといった儚さを感じる対象が存在し、その原因によりこの無常感が生じてしまうといった事が多くなります。
そのため虚無感という言葉と、同じ意味として使用される事も少なくありません。
「無常観」とは?
無常観とは、むじょうかんという読み方をすべき言葉となっています。
漢字で書かれたこの言葉を見れば理解可能な事ですが、この世には永遠不変なものは存在しない、といった意味を持っている無常の漢字に、物の見方とか考え方といった意味を有している観の漢字を付け足す事により成立した言葉です。
だからこそ無常観は、一切のものが無常であるという見方を示します。
「無常観」の使い方
無常観は、この世に存在するありとあらゆるものは儚くも虚しいものである、という考え方や見方を表現する言葉として用いられているのです。
つまり人の命は勿論、この世界の物事等も全て移り変わって行くが故に、全てが虚しいといった達観した考え方を示します。
宗教だけでなく、古くから文学のテーマの1つとしてこの無常観が扱われる事が珍しくはありません。
「無常感」と「無常観」の違い
無常感と無常観は、文字表記を見比べてみれば最後の漢字が、感と観という明らかな漢字の違いを発見する事が出来ます。
ただしどちらも同じ漢字3文字で表記される上に、最初の文字と2文字目が共に無常という同一の漢字が使用されているのです。
その上で読み方も双方、むじょうかん、と同じなのでかなり似通ったややこしい組み合わせの言葉同士と言えます。
とはいえ3文字目の漢字が違う事で、表す意味合いにも違いが生じているのです。
まず無常感は、人間の命といった儚さを感じる対象があり、その事に対して生じる虚しさを表現する言葉となっています。
一方の無常観は、この世界のありとあらゆるものに対して移ろいを感じ、何もかもに儚さが生じるという考え方や物の見方を示す言葉です。
まとめ
2つの言葉はどちらも最初の2文字が同じ、無常という文字が使われており、全く同じ、むじょうかん、という読み方をする言葉となっています。
もっとも3文字目は、感と観という違いがあるため、表現する意味合いにも相違点を見出す事が可能です。
ちなみに無常感は、儚さを感じる対象があり、その事を切っ掛けに生まれる虚しい気持ち等を表します。
対する無常観は、この世界の全ての事象は儚くも虚しいといった、見方や考え方を示す際に用いられる言葉です。