「意図的」と「恣意的」の違いとは?分かりやすく解釈

「意図的」と「恣意的」の違い言葉・カタカナ語・言語

この記事では、「意図的」「恣意的」の違いを分かりやすく説明していきます。

「意図的」とは?

「意図的」とは?

「意図的」とは、目的があって、わざとそのようにするという意味になる言葉です。

「明らかに意図的だ」と使うと、明らかに何らかの目的の為にわざとやっているという意味になります。

「意図的な行為としか思えない」などと使われることが多く、この場合、わざとやっているとしか思えないといった解釈になり、決して偶発的なものではなく、わざとやっているという場合に用いられる表現です。

「恣意的」(しいてき)とは?

「恣意的」(しいてき)とは?

「恣意的」とは、自分勝手な様子だという表現になります。

「あいつの恣意的な態度は、どうにかならないものか」などと使われる言葉で、人のことなど全く考えない自分勝手さだと表現したい場合に使われます。

それに明確な目的があるとは限らず、気分のままに振舞っていると解釈して構いません。

つまり、他人から見ると、「意図的」のように、わざとそのようにしているのかさえ分からず、単にわがままだと表現できる行為や行動、言動に対して用いられる表現になります。

「意図的」と「恣意的」の違い

「意図的」と「恣意的」の違い

「意図的」「恣意的」の違いを、分かりやすく解説します。

「意図的」は、偶然ではなく、わざとそうした、そうしているという意味で使う言葉です。

よって、明らかに狙われていると分かった時に、「意図的に俺を狙っている」のように使うことが可能です。

「恣意的」は、自分勝手さの表現になり、「何と恣意的な奴だ」とすれば、自分勝手過ぎると言っており、「恣意的なのもほどほどにして欲しい」と使えば、自分勝手も大概にして欲しいと表現していると考えていいでしょう。

まとめ

まとめ

「意図的」「恣意的」は、このように違います。

世の中では、様々な「意図的」な行為や行動、言動が確認できますが、どれもその良し悪しは別として、どれも目的があってのことだと解釈できます。